田園都市線は東京都渋谷区渋谷駅から神奈川県大和市・中央林間駅まで9市区を結ぶ路線です。
今回はその中でも駅の数が最も多い「青葉区」をご紹介いたします。
青葉区の歴史
青葉区を縦断するのが田園都市線です。青葉区に縁の深い田園都市線と他路線の歴史と共に振り返ってみましょう。1966年(昭和41年)4月に田園都市線(溝の口駅~長津田駅)、翌年 1967年(昭和42年)4月にはこどもの国線も開通しました。
開通当時、現在の青葉区は港北区の一部でした。田園都市線の開通もあり、急激な人口増加が始まり、3年後の1969年(昭和44年)港北区から分区し緑区の一部になりました。(人口123,262人)
さらに、1979年(昭和54年)4月JR横浜線十日市場駅開業、横浜線長津田駅まで複線化となり、1984年(昭和59年)4月つきみ野駅~中央林間駅が開通、地下鉄新玉川線として1977年(昭和52年)に開通した渋谷駅~二子玉川駅も含め現在の路線となりました。
人口はますます増加し、緑区の人口は1981年(昭和56年)6月には30万人、1987年(昭和62年)9月には40万人突破しました。
前年の1986年(昭和61年)11月、緑区役所北部支所を開設(人口224,012人、79,755世帯スタート)しています。
1993年(平成5年)3月横浜市の南北をつなぐ横浜市営地下鉄線が開通し、青葉区から横浜駅エリアへの交通手段が増えました。
翌年1994年(平成6年) 行政区の再編成の実施により緑区から分区し青葉区が誕生しました。(人口245,587人、94,198世帯でスタート)
区名の一般公募は、平成5年8月1日から31日まで「広報よこはま」等により実施されました。選定理由は木々に囲まれた美しい街のイメージから、若い芽がいきいきと育つように、将来に向けて、伸びやかに発展する区でありたいとの願いからだそうです。
青葉区制25周年の2019年(令和元年)6月現在 人口308,416人(1994年から1.25倍)、134,876世帯(1994年から1.43倍)とますます人口が増えています。
青葉区の花はなし、マスコット「なしかちゃん」も誕生しています。
住みやすい街
青葉区は区画整理が施され、坂は多いですが敷地と歩道も広くきれいな街並みが特徴です。医療機関も多く、220を超える診療所と昭和大学藤が丘病院をはじめ10か所の病院があります。
保育所・保育施設87園、幼稚園21園、小学校31校と教育施設も多く、子どもの受け入れ態勢が整っています。(平成30年10月15日月現在)
子どもから高齢者まで楽しく過ごせる「青葉区民まつり」が毎年11月3日に開催され、盛り上がりをみせています。
今年で6回目となる青葉区民マラソンは11月24日に開催されます。応募資格は区内在住、在勤、在学者となり、今年も応募開始から1日で定員1,000人に達するほどの人気イベントとなっています。
地域のお祭りも盛んで、桜まつりや夏祭りなどのイベントも楽しめます。
青葉区内の名所や注目のスポットを最後にいくつかご紹介します。
市が尾駅周辺には市ケ尾横穴古墳群や稲荷前古墳群、朝光寺原古墳群出土遺物一括(非公開)などの文化財もあり、6世紀後半~ 7世紀後半の歴史を感じられます。
こどもの国線のこどもの国駅には1959年(昭和34年)4月の皇太子殿下(現上皇陛下)のご結婚を記念して、全国から寄せられたお祝い金を基金に、1965年(昭和40年)5月5日のこどもの日に開園した「こどもの国」があります。遊具やプール(夏季のみ)、バーベキュー場、キャンプ場、テニスコートや牧場もあります。園内で売っているソフトクリームは絶品です。
青葉台駅などからバスで行ける「寺家ふるさと村」では昔ながらの里山を活かした景観が見られ、四季折々の自然が感じられます。
たまプラーザ駅直結の商業施設たまプラーザテラスのフェスティバルコートではミニライブ&サイン会などのイベントが開催され、FMサルースのイッツコムスタジオでは生配信の瞬間をご覧いただけます。
青葉台駅すぐの場所には1993年(平成5年)オープンの横浜市青葉区民文化センターフィリアホールがあり、演奏家が聴き手を魅了し続けています。
青葉区の魅力はまだまだあります。まずは、散策して新たな魅力を発見してみませんか?
参照資料: